zero

ben567

2008年10月16日 15:30

ルアーの世界では釣果を競う大会が盛んだ。
バスにしても管理釣り場にしても、トーナメントが頻繁に開催されている。

バスの世界ではアメリカの影響か、日本にも数多くのプロが存在している。
管理釣り場における大会も、釣場やメカーなどさまざまな形式のものが開催されて、参加者もかなりの数にのぼるようだ。

どうして数を競うの?

たくさん釣れたらうれしいから。理由はそんなに単純明快なのだろうか。

数は技量を計るバロメーターになるから。これもかなりの説得力がある。
ウマいから、たくさん釣る。たくさん釣るから、ウマい。

どちらも甘い響きがある。

ウマいと言われるのは、釣り人冥利に尽きる。誰よりも上手でありたい。

あいつヘタ。

知らず知らずに、隣で釣りをしている人の技量を計っていませんか。

でもルアーの場合は、技量を推し量るのモノサシが少ない。
キャスティングを見てもそれほどの差は見いだせないし、ランディングだって大同小異。ドングリの背比べみたいなものだ。

とすると、たくさん釣っているから、ウマい。なんと解りやすい




これまでの釣りでは、数を競うという精神はあまり持ち合わせなかった。
何匹釣れたかなんて、数えたこともなかった。何匹くらい釣れた程度の認識だった。

自分のスタイル、メソッドで釣れなければ諦められた気がする。
隣りで爆釣していても気にならなかった。釣れることがわかっていても、その方法を選択しなかった。

一方には、釣れない魚を技術を駆使して釣るという発想があった。
手を変え品を変えて、スレッカラシを釣り上げてやろう。魚さんと知恵比べするゲーム性に喜びを見つける。

いとものんびりした釣りとも偏屈な釣りともいえるが、自分のスタイルを堅持していたし、遊べていた。

ところがルアーを始めてから、隣で釣れていると気になるし、釣果を真剣に数えたりしている自分がいることに気付いた。
誤解なきように言っておきますが、たくさん釣れることは嬉しいし、楽しい。釣れないなんてつまらない。


数で満足を計る。
この数の思想が大きなワナのような気がする。

釣りの基本は魚を釣ることだから、魚の数に走るか、質に走る(綺麗な魚、大きな魚)どちらかになるのだろう。

しかし私たちが楽しんでいる釣りは、猟という機能から開放された嗜好の世界に属するものだ。
だから数を頼む必要なんて無いはずなのに


ところで「0(zero )」の概念はインドで発明されたらしい。
それまでは1、2、3、4、…といった整数だけの世界だった。
数をかぞえるのだから1から始まるのは当たり前。0を出発点にしたのはさすがに天才。昔からインド人は数字に強かったようだ。
プログラム開発にはインド人が才能を発揮している。それには数学に強い遺伝子が働いているのかも。
これによってー1、−2という負数が生まれてきた。

負数は釣りに関係ないので話を戻そう。

よく考えると「0」も釣果なのだ。

1匹と100匹の差より、0匹と1匹の差のほうが大きい。

1と100の差より、0と1の差のほうがデカイ

こんな真理も釣りをしなければ発見できなかったことだ。


む、む。

先ほどの「負数は釣りに関係ない」はなしにしよう。

せっかくマイナスも数があるのだから

釣果もマイナスを加えたら、もっと楽しくなるかも。

ショートバイトやバラシをマイナスとしてカウントするのだ。

今日は2と−5なんて具合に。

バカのことはこれくらいに。
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