2008年10月16日
zero
ルアーの世界では釣果を競う大会が盛んだ。
バスにしても管理釣り場にしても、トーナメントが頻繁に開催されている。
バスの世界ではアメリカの影響か、日本にも数多くのプロが存在している。
管理釣り場における大会も、釣場やメカーなどさまざまな形式のものが開催されて、参加者もかなりの数にのぼるようだ。
どうして数を競うの?
たくさん釣れたらうれしいから。理由はそんなに単純明快なのだろうか。
数は技量を計るバロメーターになるから。これもかなりの説得力がある。
バスにしても管理釣り場にしても、トーナメントが頻繁に開催されている。
バスの世界ではアメリカの影響か、日本にも数多くのプロが存在している。
管理釣り場における大会も、釣場やメカーなどさまざまな形式のものが開催されて、参加者もかなりの数にのぼるようだ。
どうして数を競うの?
たくさん釣れたらうれしいから。理由はそんなに単純明快なのだろうか。
数は技量を計るバロメーターになるから。これもかなりの説得力がある。
ウマいから、たくさん釣る。たくさん釣るから、ウマい。
どちらも甘い響きがある。
ウマいと言われるのは、釣り人冥利に尽きる。誰よりも上手でありたい。
あいつヘタ。
知らず知らずに、隣で釣りをしている人の技量を計っていませんか。
でもルアーの場合は、技量を推し量るのモノサシが少ない。
キャスティングを見てもそれほどの差は見いだせないし、ランディングだって大同小異。ドングリの背比べみたいなものだ。
とすると、たくさん釣っているから、ウマい。なんと解りやすい
これまでの釣りでは、数を競うという精神はあまり持ち合わせなかった。
何匹釣れたかなんて、数えたこともなかった。何匹くらい釣れた程度の認識だった。
自分のスタイル、メソッドで釣れなければ諦められた気がする。
隣りで爆釣していても気にならなかった。釣れることがわかっていても、その方法を選択しなかった。
一方には、釣れない魚を技術を駆使して釣るという発想があった。
手を変え品を変えて、スレッカラシを釣り上げてやろう。魚さんと知恵比べするゲーム性に喜びを見つける。
いとものんびりした釣りとも偏屈な釣りともいえるが、自分のスタイルを堅持していたし、遊べていた。
ところがルアーを始めてから、隣で釣れていると気になるし、釣果を真剣に数えたりしている自分がいることに気付いた。
誤解なきように言っておきますが、たくさん釣れることは嬉しいし、楽しい。釣れないなんてつまらない。
数で満足を計る。
この数の思想が大きなワナのような気がする。
釣りの基本は魚を釣ることだから、魚の数に走るか、質に走る(綺麗な魚、大きな魚)どちらかになるのだろう。
しかし私たちが楽しんでいる釣りは、猟という機能から開放された嗜好の世界に属するものだ。
だから数を頼む必要なんて無いはずなのに
ところで「0(zero )」の概念はインドで発明されたらしい。
それまでは1、2、3、4、…といった整数だけの世界だった。
数をかぞえるのだから1から始まるのは当たり前。0を出発点にしたのはさすがに天才。昔からインド人は数字に強かったようだ。
プログラム開発にはインド人が才能を発揮している。それには数学に強い遺伝子が働いているのかも。
これによってー1、−2という負数が生まれてきた。
負数は釣りに関係ないので話を戻そう。
よく考えると「0」も釣果なのだ。
1匹と100匹の差より、0匹と1匹の差のほうが大きい。
1と100の差より、0と1の差のほうがデカイ
こんな真理も釣りをしなければ発見できなかったことだ。
む、む。
先ほどの「負数は釣りに関係ない」はなしにしよう。
せっかくマイナスも数があるのだから
釣果もマイナスを加えたら、もっと楽しくなるかも。
ショートバイトやバラシをマイナスとしてカウントするのだ。
今日は2と−5なんて具合に。
バカのことはこれくらいに。
どちらも甘い響きがある。
ウマいと言われるのは、釣り人冥利に尽きる。誰よりも上手でありたい。
あいつヘタ。
知らず知らずに、隣で釣りをしている人の技量を計っていませんか。
でもルアーの場合は、技量を推し量るのモノサシが少ない。
キャスティングを見てもそれほどの差は見いだせないし、ランディングだって大同小異。ドングリの背比べみたいなものだ。
とすると、たくさん釣っているから、ウマい。なんと解りやすい
これまでの釣りでは、数を競うという精神はあまり持ち合わせなかった。
何匹釣れたかなんて、数えたこともなかった。何匹くらい釣れた程度の認識だった。
自分のスタイル、メソッドで釣れなければ諦められた気がする。
隣りで爆釣していても気にならなかった。釣れることがわかっていても、その方法を選択しなかった。
一方には、釣れない魚を技術を駆使して釣るという発想があった。
手を変え品を変えて、スレッカラシを釣り上げてやろう。魚さんと知恵比べするゲーム性に喜びを見つける。
いとものんびりした釣りとも偏屈な釣りともいえるが、自分のスタイルを堅持していたし、遊べていた。
ところがルアーを始めてから、隣で釣れていると気になるし、釣果を真剣に数えたりしている自分がいることに気付いた。
誤解なきように言っておきますが、たくさん釣れることは嬉しいし、楽しい。釣れないなんてつまらない。
数で満足を計る。
この数の思想が大きなワナのような気がする。
釣りの基本は魚を釣ることだから、魚の数に走るか、質に走る(綺麗な魚、大きな魚)どちらかになるのだろう。
しかし私たちが楽しんでいる釣りは、猟という機能から開放された嗜好の世界に属するものだ。
だから数を頼む必要なんて無いはずなのに
ところで「0(zero )」の概念はインドで発明されたらしい。
それまでは1、2、3、4、…といった整数だけの世界だった。
数をかぞえるのだから1から始まるのは当たり前。0を出発点にしたのはさすがに天才。昔からインド人は数字に強かったようだ。
プログラム開発にはインド人が才能を発揮している。それには数学に強い遺伝子が働いているのかも。
これによってー1、−2という負数が生まれてきた。
負数は釣りに関係ないので話を戻そう。
よく考えると「0」も釣果なのだ。
1匹と100匹の差より、0匹と1匹の差のほうが大きい。
1と100の差より、0と1の差のほうがデカイ
こんな真理も釣りをしなければ発見できなかったことだ。
む、む。
先ほどの「負数は釣りに関係ない」はなしにしよう。
せっかくマイナスも数があるのだから
釣果もマイナスを加えたら、もっと楽しくなるかも。
ショートバイトやバラシをマイナスとしてカウントするのだ。
今日は2と−5なんて具合に。
バカのことはこれくらいに。
Posted by ben567 at 15:30│Comments(0)
│思いつき
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。